やまちゃんの不定期日記
歴史は繰り返す、疎開と停電
やまちゃん
2011年03月27日 09:47
今朝の朝日新聞asahi.comの一面記事から
①集団疎開、心の痛み抱えて 残る住民、わだかまりも
http://www.asahi.com/national/update/0326/TKY201103260419.html
から、
疎開
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%96%8E%E9%96%8B
↓
語り継ぐ学童疎開
http://www.ne.jp/asahi/gakudosokai/s.y/
②戦中戦後の停電
http://www.google.co.jp/search?hi=ja&lr=lang_ja&ie=utf-8&tbo=1&q=%E6%88%A6%E4%B8%AD%E6%88%A6%E5%BE%8C%E3%81%AE%E5%81%9C%E9%9B%BB
から一例、
「松下金物店/戦中・戦後の古い在庫」のWebで、『アルコールランプ』を参考に
http://nagare-kawa.com/matsushita/zaiko.html
戦中以前から戦後の一時期までの当時は『節約は美徳』との実例を写真で示しています。
戦前戦中と戦後でも資源エネルギーの無い日本列島、戦後の一時期まで秋田辺りに僅かな石油は有っても直ぐ枯渇、石炭は対外対価と比べて高価なので採掘を放棄し三井三池闘争を経過しエネルギー源は有限なる石油へ移る事となる。
地球規模の資源は自由主義市場経済の下に各国は、各資源が有限と知っていても枯渇するまで資源獲得に市場原理主義で競い、前もって枯渇後に地球環境に優しい?原発に切り替えるとの発想は、地震関連の災害が多い国である事を知りながら、今回の地震津波の大災害から原発事故の影響を受けた放射能被害は人災で、電力会社と電機メーカーとが結託した政官業を含めた日本国丸の一億総国民の責任は如何に。
浪費的電力消費のオール電化嗜好に対し、停電は近代生活の上に不便との意識の裏で、無資源国日本の現実から、生活商品の使い捨ての買い替え精神は贅沢、戦中以前の死語を再復活すれば『国賊』もの!
★温故知新★
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